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■2005/11/24
ちょっとしたことで、思想が大違いのほうに傾いてしまうことってあるんだなぁってことを、今話題の皇位継承問題で実感しました。
というのも、今までは敬宮愛子さまが次々期天皇になるのは現状を見りゃしかたないだろうと思っていたんですよ。ところが、「皇室典範に関する有識者会議」とかいうのが男女を問わない「第1子優先」とか言い出したので心境はさま変わり。
なんか一足飛びどころか、二足も三足も飛んで、全然違うところに行っちゃったようなとんでもない違和感を感じたんですよね。これが原因で自分の考えは急激に右に傾きました。ちょうど竹田恒泰氏も女系天皇反対の本を出版するとのことなので竹田さんがんがれ!!って感じです(^^)。
その昔、嵯峨天皇の皇子だったが臣籍降下した河原左大臣源融が天皇位を望んだときに藤原基経が「臣籍に下りながら皇位に就いた例はない」と主張して源融を退けたという話が自分には強く印象に残っていました。ところが、そのしばらく後に源定省が即位して宇多天皇になったという史実もあるんですね。今でいえば旧宮家の一部が宮家に復帰するというのもありなんじゃないかと思うようになりました。私は旧宮家の宮家復帰の支持派になりましたよ(^^)〜
ちなみに、竹田恒泰氏は竹田家のなかでも末子の系統らしく仮に旧宮家が宮家に復帰することがあっても彼が皇族になる可能性は少ないようですね。ってことは本人も自覚しているだろうから、竹田恒泰氏を動かした黒幕の存在がいるんでしょう。皇族の弱いところは政治的発言権の無いところですが、旧宮家ならば政治的発言はOK。しかも妙な威厳がある。そして、横浜市長選挙に出馬を試みたことで知名度のある竹田恒泰氏は適役の役者なのかもしれません。
で、この現:竹田家の旧:竹田宮家について調べていたら、驚くべきことが解りました(^^)。
北白川宮能久親王(東武皇帝)
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竹田宮恒久王
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竹田宮恒徳王(皇籍を離れ竹田恒徳)(通称:スポーツの宮さま)
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竹田恒和(JOC会長)
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竹田恒泰
うわ〜、竹田宮家って東武皇帝の子孫だったのか!!
江戸時代は上野輪王寺門跡に皇族を迎える習慣がありまして… その真意は、幕府が朝廷から人質を取っているってことです。で、もしも朝廷が幕府のコントロールから外れるようなことがあったあら、この上野輪王寺門跡を皇位につけて南北朝時代のように、東朝をつくってしまうという手段もあったんですね。で、幕末の戊辰戦争のときに、それが現実化してしまい能久親王は上野から東北地方に逃れて東武皇帝と名乗り東北地方が独立したという事件が起こってしまいました。結局は薩摩・長州を中心とする朝廷の官軍が強くて東武皇帝は投降し幽閉されてしまったのですが、その後、罪を許され北白川宮家を相続して、日清戦争の際に戊辰戦争での汚名挽回ということで積極的に台湾に進駐したものの現地でマラリアにかかり戦地での病没となってしまいました。その悲劇の皇族の子孫が旧竹田宮家だったとはねぇ… いやぁ、ちょっと驚きました。
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