日記に非ず(2005/11版)

2005/11/28

 ぼやきモードに突入です。

 なんか私の推すものって一般ウケしないよね。
 私が使うPC UNIXのOSってFreeBSDだけど、一般的にはLinuxが使われてるよね。マニアックな人達にはLinuxよりもBSD系のUNIXのほうがほうが良いって人多いんだけど。
 私が好きなロックバンドってムーンライダーズだけど、一般の人は存在さえも知らないよね。音楽業界内やミュージシャンにはファンだとか影響を受けたって人はゴロゴロしているんだけど。

 この間の衆院総選挙や昨日の大阪市長選挙での辻惠氏も、これまた同じような(苦笑)…
 どうやら政治の世界では辻惠氏は当初は知名度が無かったようですが、次第に評価は高まっていったらしい。それもあって国会での質問にたつ回数が新人代議士としては異例の回数に及んだらしい。でも、選挙ではこんな結果になってしまった。

 私が推す人や物って、こうなる運命なんでしょうか(>_<)。

2005/11/27

 本日投票日の大阪市長選挙は20時で投票が締め切られ、21時になる前に辻惠氏が敗北宣言したようです(内容未確認)。
開票結果は次のとおり。

関 淳一 278,914票
辻 恵 189,193票
姫野 浄 165,874票
松下 幸治 46,709票

 投票率は34%に及ばず。大阪市民の問題意識の低さに驚かされました。
 そして、時間が無かったとはいえ2位・3位争いという程度の結果しか出せなかった辻陣営には反省を求めたいところです。

 今回の市長任期は2年。つまり2年後に再び大阪市長選挙があるわけで、その予行演習という一面もあるのかもしれないが、だとしても不甲斐無さ過ぎる…

2005/11/24

 ちょっとしたことで、思想が大違いのほうに傾いてしまうことってあるんだなぁってことを、今話題の皇位継承問題で実感しました。

 というのも、今までは敬宮愛子さまが次々期天皇になるのは現状を見りゃしかたないだろうと思っていたんですよ。ところが、「皇室典範に関する有識者会議」とかいうのが男女を問わない「第1子優先」とか言い出したので心境はさま変わり。
 なんか一足飛びどころか、二足も三足も飛んで、全然違うところに行っちゃったようなとんでもない違和感を感じたんですよね。これが原因で自分の考えは急激に右に傾きました。ちょうど竹田恒泰氏も女系天皇反対の本を出版するとのことなので竹田さんがんがれ!!って感じです(^^)。

 その昔、嵯峨天皇の皇子だったが臣籍降下した河原左大臣源融が天皇位を望んだときに藤原基経が「臣籍に下りながら皇位に就いた例はない」と主張して源融を退けたという話が自分には強く印象に残っていました。ところが、そのしばらく後に源定省が即位して宇多天皇になったという史実もあるんですね。今でいえば旧宮家の一部が宮家に復帰するというのもありなんじゃないかと思うようになりました。私は旧宮家の宮家復帰の支持派になりましたよ(^^)〜

 ちなみに、竹田恒泰氏は竹田家のなかでも末子の系統らしく仮に旧宮家が宮家に復帰することがあっても彼が皇族になる可能性は少ないようですね。ってことは本人も自覚しているだろうから、竹田恒泰氏を動かした黒幕の存在がいるんでしょう。皇族の弱いところは政治的発言権の無いところですが、旧宮家ならば政治的発言はOK。しかも妙な威厳がある。そして、横浜市長選挙に出馬を試みたことで知名度のある竹田恒泰氏は適役の役者なのかもしれません。
 で、この現:竹田家の旧:竹田宮家について調べていたら、驚くべきことが解りました(^^)。


 北白川宮能久親王(東武皇帝)
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  竹田宮恒久王
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  竹田宮恒徳王(皇籍を離れ竹田恒徳)(通称:スポーツの宮さま)
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  竹田恒和(JOC会長)
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  竹田恒泰

 うわ〜、竹田宮家って東武皇帝の子孫だったのか!!
 江戸時代は上野輪王寺門跡に皇族を迎える習慣がありまして… その真意は、幕府が朝廷から人質を取っているってことです。で、もしも朝廷が幕府のコントロールから外れるようなことがあったあら、この上野輪王寺門跡を皇位につけて南北朝時代のように、東朝をつくってしまうという手段もあったんですね。で、幕末の戊辰戦争のときに、それが現実化してしまい能久親王は上野から東北地方に逃れて東武皇帝と名乗り東北地方が独立したという事件が起こってしまいました。結局は薩摩・長州を中心とする朝廷の官軍が強くて東武皇帝は投降し幽閉されてしまったのですが、その後、罪を許され北白川宮家を相続して、日清戦争の際に戊辰戦争での汚名挽回ということで積極的に台湾に進駐したものの現地でマラリアにかかり戦地での病没となってしまいました。その悲劇の皇族の子孫が旧竹田宮家だったとはねぇ… いやぁ、ちょっと驚きました。

2005/11/23

 うわ〜、あれから10年経ったんですねぇ!!


 Windows95が日本で発売開始になったのが1995年11月23日の00:00。秋葉原では1分1秒でも早くWindows95を手に入れようというマニアが店先に並び、店は一旦閉めた店を24:00前に再び開き24:00のカウントダウンを行いWindows95の販売を始めた。

 その時の自分は、まだMS嫌いでは無かったけど、行列を作ってWindows95を買う必要性が解らず(今もって解りませんけど[笑])、秋葉からのTV中継を暖かい部屋で眺めてました。確か、K氏という人物と電話で「あいつら物好きだよなぁ」と笑い飛ばしながら中継を見てた気がします(^^;)。

 この1995年は1月に阪神大震災、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こっていて、これ以降、酒鬼薔薇事件だとかの不気味な事件が起こる傾向にあるわけで、ここ10年で世の中も激変したもんだなぁと感じます。

2005/11/10

 昨日の続きです。

 辻惠(つじ・めぐむ)という人が大阪市長選挙に立候補することを11/09に表明しました。 この辻惠氏は2003年11月の衆院総選挙で大阪3区から民主党公認で出馬。 公明党の現職に敗れたものの比例区復活をし、初挑戦で代議士になれたという人です。 職業は弁護士で、東京の銀座に弁護士事務所を構え、ほどほどに有名な人だったようです。 大阪出身であることもあり大阪3区にも法律事務所を構えたうえでの出馬でした。 今年9月の選挙では、またしても公明党現職相手に敗れ、比例復活もならず落選が決まりました。

 実は、この辻惠氏と私は接点があるんですよ。
 私の母の実家で遺産相続問題で揉めて、脅迫まがい(というか殺人を予告する内容の電話をしっかりとしてきた(笑))の 言動をするDQN叔父がいたりするものですから話にならないし、話にならないから調停も流れて「不調」という結果に なったわけで、訴訟に踏み切ったわけですが、それでお世話になったのが辻惠氏の弁護士事務所でした。 正直なところ弁護士事務所としては「オイシくない仕事」だったはずなのですが、 ありがたいことに引き受けてくれたんですよ…

 辻惠氏が政治家に転身する際には「こういう人が政治家になってくれたらいいなぁ」と思ったものです。 その気持ちは今でも変わりませんね。
 なんていうのかなぁ、自分は反米右翼で「日本は独自の軍隊を持って、その軍隊で専守防衛をやるべきで、 アメリカにはお帰り願おう」なんて思っているのですが、辻惠氏はそれとはかなり違う考えを持っているはずです。 死刑制度に対しても、かなり考えに隔たりがあるようです。
 それでも、辻惠氏には彼なりの考えで政治活動をやってもらいたいと思っています(^^)。

 というわけで、大阪市の有権者のかたがいらっしゃたら、辻惠氏に興味を持っていただければ幸いです。

2005/11/09

 このサイトでは、あまり深く政治色を持たないようにしているつもりでした。でも、そうも言ってられない状況になってきたようで…

 続きは明日。

2005/11/01

 今日は東証が大変だったようで… う〜ん、ご愁傷さまです。

 こっちはこっちで、上系列の人が、同じ上系列の部署の人を通さずに直接私に機能追加を要求してきたので、話を正常なルートに乗せるのに苦労した。な〜んか私に何かを要求してやらせれば、私がなんとかギリギリ瀬戸際のところでうまいことやっちゃうみたいなイメージあるのかなぁ(-_-)。そういうことやると、結局怒られるのが私なんで迷惑なんですけど…


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